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こんな感じ(自称「半農半活動」)で生息しています。
① 可能な限り自給自足(とりあえず家庭菜園と年収100万円程度の生活)
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半農半X とBライフにインスパイアされました。

死なない以上は、子孫と環境に負の遺産を残さないように生きれればと考えています。
単身で気楽に生活、ピンピンコロリでフェードアウト!が理想です。
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健康で文化的な最低限度の生活を送る「能力」について [考えているコト]

健康で文化的な最低限度の生活


以前の記事とも関連しますが、
私は、
現行の生活保護支給水準は、憲法第25条で規定する「健康で文化的な最低限度の生活」を送るのに、十分な水準ではないかと考えています。

なので、少なくとも生活保護を受給できていれば貧困とは言えないのでは?
という疑問がありました。

事実、生活保護水準以下で暮らしている人も大勢いるし、私なんかは、生活保護水準以下で生きることで、労働の苦痛から解放されたほうがよいとも考えています。

一方で愛読している「生活と健康を守る新聞」では、生活保護受給者の経済的困窮が度々取り上げられていて、新聞発行主体の全生連の活動に敬意を表するものの、「違和感」を感じずに入られませんでした。

そこで、貧乏や貧困の実相を少しでも理解しようと読んだのが
『最貧困女子』
(幻冬舎新書 2014年 鈴木 大介)

「三つの無縁」(家族・地域・制度(社会保障制度)という三つの縁をなくした状態)
「三つの障害」(「精神障害」「発達障害」「知的障害」)
から貧困に陥り

セックスワークで日銭を稼ぐしかなく
「救いようがないほどに、面倒くさくて可愛らしくない」
ゆえに
あらゆる局面で除外と差別の対象となり
不可視化された「最貧困女子」
を何とか救いたいという一念で書かれた著作です。

この著作中で社会活動家の湯浅誠氏の認識を紹介した箇所があり、それによると
「貧乏とは、単に低所得であること。低所得であっても、家族や地域との関係性が良好で、助け合いつつワイワイとやっていれば、決して不幸せではない。
一方で貧困とは、低所得は当然のこととして、家族・地域・友人などあらゆる人間関係を失い、もう一歩も踏み出せないほどに精神的に困窮している状態。
貧乏で幸せな人間はいても、貧困で幸せな人はいない。
貧困と貧乏は別物である。

とのこと。

この定義によれば、「マイルドヤンキー」や「プア充」、そして私のような人間は貧乏ですが貧困ではありません。
それどころか、私なんかは正社員でメンタルを病むぐらいなら貧乏な方がハッピーだし、世界的な格差是正のためにも貧乏暮らしこそ、社会的正義の実現とさえ考えています。
要は、典型的なプア充です。
ただし、プア充のオピニオンリーダー的存在(以下「プア充リーダー」)の人達と比較すると、相当能力が低いのはそうです。

私はブログで、プア充リーダーのような能力はなくても、プア充は実現できることを主張してきたつもりです。
しかし、実現には低いながらも一定の能力が必要だということに、あらためて気が付きました。


能力についての私の考え方は以下の記事のテキスト箇所参考(動画は見なくてもOK)
【ばたおとだめお】第10回・前編 努力をめぐって――能力主義と結果の平等
【ばたおとだめお】第10回・後編 努力をめぐって――能力主義と結果の平等

では、具体的にどの程度の能力かというと
①法や各種の公的制度を活用できる
②イジメられたり疎外されない程度には振る舞うことができる
③物的欲望を抑えられる
④パート労働ならなんとか耐えられる
等です。
これを、上記の「三つの無縁」「三つの障害」に当てはめると、実は相当高い能力が必要です。
なので、貧困に陥っている人に、半農半活動などと言ったところで、何の役にも立たないでしょう。
ある意味、半農半活動ができるのは、恵まれた人だとも言えます。

ところで、生活保護を受給して健康で文化的な最低限の生活をするのに必要な能力(以下「最低生活能力」)についても考えてみます。

まず、生活保護を受けるための
①制度を活用する能力
②①がなければ、手続きを手伝ってくれる程度の関係を構築する能力
③受給することによる偏見や差別に耐える能力
④照会を受けることになる親族との波風に耐える能力

加えて
保護費の範囲内で暮らしていくための
⑤家計管理能力(物的欲望を制御する能力)
が必要でしょう。

となると、
貧困の場合、保護を受けること自体が困難で、かつ運よく受けたとしても⑤でつまずく可能性が大です。
一方で、最低生活能力がある人は、生活保護を受ける状況になりにくく、なったとしても再び自立する可能性が高いと思われます。


つまり、現行の生活保護制度では、貧乏は救えても貧困を救うのは非常に困難と言えるのではないでしょうか。

貧乏と貧困の違いについて理解が進んでくると、冒頭の方で触れた「違和感」についても整理できてきました。
保護費については、
①貧乏暮らしが出来る人が引き上げを要求するのは少し贅沢
②貧困に陥った人(家計管理能力他が欠如)が引き上げを要求するのは致し方ない
ということです。

私が抱いていた「違和感」は①に関するもので、貧困という視点が抜け落ちていたのです。

今回の記事は、あまり整理がつかないまま文章化したので、ただでさえ論理的でないのに、さらに分かりにくくなってしまいまい、申し訳ありませんm(_ _)m
今後、少しずつ整理していければと思います。

最後に一言
貧困は決して自己責任ではありません。
なので、社会で丸抱えする等でしか救えないのではないでしょうか。

参考記事等
第100回「JK産業の実態~女子高生たちに今何が起こっているのか?」 
売春する女性が「同情されない」ゆえの困難 【鈴木大介×荻上チキ】vol.3 


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コメント 5

ナナ

お疲れ様です。
by ナナ (2015-03-08 17:01) 

丸大

貧困を救うには保護費の引き上げよりサポートの充実こそ必要ではないかと思えました
by 丸大 (2015-03-09 06:52) 

hnhk

丸大 さん

サポートの充実、大事だと思います。
『最貧困女子』の著者、鈴木大介さんも、同書の中で具体的な提案をされています。

一方で充実させるには、マンパワーの増大も必要でしょう。
例えば、大阪市のケースワーカーは非正規職員も多く、かつ適正量をはるかに超える業務をこなしていると聞きます。
これでは、とても「充実」とは行きません。

相対的に余裕のある人(法人含む)が、貧困をなくすために、税金等をより多く負担する等の対策も必要かと思います。
by hnhk (2015-03-09 08:23) 

ファルコ84

はじめまして
社会全体で支えあうよう
応援していきます。
頑張りましょう!
by ファルコ84 (2015-03-14 15:47) 

hnhk

ファルコ84 さん

ご訪問ありがとうございます。
いかなる状況に生まれても、少なくとも「健康で文化的な最低限度の生活」が送れるよう支えあいたいですね。

今は、富める者は、富を内輪(家族や企業)に溜め込む傾向が顕著ですが、それよりも他者のために使うことこそ善という文化が定着して欲しいところです。

この点においては、イスラム社会やキリスト教的博愛主義にも大いに学ぶところ大かとも思います(o^∇^o)ノ
by hnhk (2015-03-14 18:50) 

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